点字図書館と私  (TIさん2011年7月記)

           点字図書館と私

 私は物心がついたころから薄暗くなるとほとんど見えなくなるのを今でも覚えていま
 す。しかし日中の明るいうちはみんなと全く変わりなく一緒に遊ぶことも、教室での
 勉強にもあまり困ることはありませんでした。

 当時は医学や健康について、今のように関心も知識もなかったのでしょう、目の病気
 などとは両親も全然思いもしませんでした。学校生活のころ幾分視力は低下していた
 ものの毎日の生活が困難なほどでもなく、卒業後の就職も人並みにできました。

 26歳のとき、病気で一ヶ月ばかり入院したことがありました。病気が治って退院が近
 づいた頃視力が幾分低下していることを考え、メガネを作ろうと思い退院前に眼科の
 診察を受けました。そのとき初めて網膜色素変性という網膜の病気であることを言わ
 れたのです。

 その医師の説明は、この病気は先天性で現在の医学では原因も分からず、治療法もな
 く、 徐々にすすむ難病だが、人によってかなり個人差があり、いつ失明するかしな
 いかは分からない。また子供に遺伝する人もありしない人もあるというものでした。

 私はこの説明をお聞きした瞬間に、体中の血がさっと引き、地のなかをどこまでも沈
 んでいくような驚きと失望のなかに沈んでいきました。生きる希望を全く奪われたの
 入社して、まだ数年の仕事にも打ち込んでいたもっとも希望に燃えて充実していた
 ときしかもそのとき婚約した女性と一年ばかりお付き合いを続け、数ヵ月後には
 結婚式の予定さえ考えていた青春の毎日だったのです。それが一瞬にして崩れ去って
 いったのです。

 ですからあのときの衝撃は今までのうちもっとも大きなものです。2年半前にアルツ
 ハイマーを宣告されたときほとんど衝撃を感じなかったのもそのためだと思っていま
 す。気力に生きているだけの(毎日でした。 

 しかし年老いた両親もあり、生活のために会社だけは辞めることなく通うことだけは
 続いていけていました。年月を経るごとに次第に精神的にも立直り、56歳で退職する
 まで視力はかなり低下していったものの、非常にありがたかったことに仕事には差し
 支えなく勤務 することができました。 

 退職後は、いつ失明するかという心配もありましたので、ハリ灸マッサージの学校
 を受験しました。そのときはまだ障害者手帳を受けていませんでしたので一般の学校
 を受験し、若い人と一緒に3年間学びました。卒業後の国家試験も幸い合格し、整形
 外科病院で一年間インターンの後、自宅で治療院を開業しました。すでに61歳にな
 る歳でしたが75歳まで治療の仕事を続けました。
 
  国家試験の頃まではどうにか教科書も黒板の字もなんとか見えましたが、国家試験
  の細かい文字には苦労し、レンズを持っていきました。その頃から視力が次第に低
  下し、開業した頃にはカルテを書くときには倍率の高い特殊な拡大鏡を使わなけれ
  ばなりませんでした。

 さらに拡大読書器でなければ見えなくなり、障害者手帳の1級に認定されたのです。
 それまでは、障害者との交流や情報も殆どなく、本を読むこともできない不本意な
 期間を過ごしていたのです。このような生活を続けていたものですからパソコンが
 できたらいいなと思いながらも、年齢からも視覚障害があることからも、とてもそれ
 は無理だろうと思い込み、パソコンに手を出そうと全くしませんでした。

 たまたま数年前にNHKのラジオ放送で、パソコンによって点字図書館の本を音声で
、自宅で自由に聴くことができるサービスが、間もなく4月から始まるという放送を
 聞きました。それを聞いた瞬間に目の前がパット明るくなったのです。

 もう矢も盾もたまらず、パソコンを習わなければと、決心しました。視覚障害者の
 私に教えているところは、市内ではなかなか見つからず、色々な経緯がありました
 が、狭山市の工房夢来夢来と入間市のPCSVというボランテアの皆さんのご好意に
 よってパソコンを習い始めることができました。そのときは喜寿を迎える3ヶ月前に
 なっていましたが、 皆さんのご熱心なご指導によってお蔭様で現在は点字図書館
 の本も読むことができるようになりました。
 
 今の生活は朝食のあとパソコンで新聞を読み、それからメールや文章を書いたり
 サピエ図書館の本を読むのが楽しいひとときです。点字図書館のこのようなサービス
 が始まってからはとくに多くの本を読むことができてほんとうに視覚障害者にとって
 はなくてはならない、ありがたいものになりました。
 
 パソコンができない頃とくらべますと大きく変わり、毎日の生活が楽しく生き甲斐
 ある明るい一日一日になったのです。情報量も増え、多くの人との交流もできるよ
 うになり ました。アルツハイマー発病前から続けていました万葉集の勉強も、
 毎週訪問して教え てくださるボランテアの皆さんや、サピエ図書館のおかげで
 現在も同じように続けることができています。
 このようなパソコンと点字図書館の活用があまりに遅かったことは後悔されまし  たが、私のこの後悔の道を歩むことのないよう、高齢の視覚障害者のみなさんは、  一日も早くパソコンで点字図書館を大いに活用して自分を高めることを強くお勧め  したいのです。 高齢の視覚障害者でも、私程度のパソコンでしたら少しばかりの努力を何ヶ月か続 けれ ばどなたでもできます。どうしてもパソコンは、どうもそれでもという方は、 市役所の 福祉担当課でプレクストークという器械を交付していただき、それを使 えば点字図書館  の本を音声で聞くことができます。このプレクストークという 器械は、視覚障害者が 簡単に使うことができるように作られたもので、パソコン よりもはるかにやさしく使う ことができます。  私は先月さいたま点字図書館にアルツハイマーに関係ある本をお願いしましたと  ころ、今までに約20冊ほどの本を次々と送ってくださり全部読んで大変得るところ  がありました。日本中の点字図書館から集めてくださっているようで全く自宅にい  ながらこんな幸せが受けられるとは思いもよりませんでした。    いままでに読みました約20冊の本のアルツハイマーは、いずれの患者の方も発病して  暫くの間は軽い症状ですけれども、次第に重くなり日常生活も難しく家族の介護の  大変なことは筆舌に尽くせないほど悲惨な病気なのです。    ただ あらいかつこさんの著書 アルツハイマーからお帰りなさい にあったご主人  のやすつねさん だけは例外でただ一人、90歳近くなって認知症状がほとんどなくな  り、現在も比較的健康な生活を楽しんでおられます。  私の発病時の様子やその後の状況が、これら20人とはかなり違うような感じがするの  です。発病してからまだ2年6ヶ月ですから、この先どうなるのか分かりませんが  いずれにしても83歳という年齢を考えますと、もう多くの時間は望めないと思います。  しかし今は、本も読めますし、日常の生活にも困ることはほとんどないのででき  ますことならここ数年間続けてきました万葉集を終わりまで読みたいと思っています。  一ヶ 月に40首くらいのペースですのでまだまだ数年間はかかります。  そして若しもそれが達成できましたときは、私も自分のアルツハイマーと視覚障害の  体験を本に書きたい夢をもっています。そのためにも健康に気をつけていま自分に  できることを一日一日精一杯に生きてゆきたいと思っています。                       2011年7月 TI記     会員のページへ戻る