視覚障害を持ったから体験できたこと」
僕は、30歳頃から網膜性色素変性症で目の状態は、だんだん悪くなっていました
。その頃(38歳)交通事故を起こし、20日間意識不明となってしまいました。何
とか助かり仕事に戻ることができました。僕は、財団法人交通遺児育英会心塾で教官
をしていました。ただし、事故で下肢障害もできてしまい、正に心塾の中だけの仕事
しかできなくなっていました。
学生寮心塾は、“暖かい心、広い視野、行動力を兼ね備えた人類社会に貢献できる
人間を目指そう”といろいろなことを学生と共に勉強しました。学生と共に「百`ハ
イク」も完歩しました(30歳頃)。残念ながら視野も40歳頃からかなり狭くなっ
てしまい、結局育英会を退職しました。
これからどうやって飯を食べたらいいのかと悩みましたが、盲学校で鍼灸あんま指
圧マッサージの資格を取得するしかないと考え進みました。
学校生活2年の夏頃一生懸命勉強をしていた時に突然意識を失い倒れてしまいまし
た。同室の学生が職員を呼んでくれ、入院しました。約1ヶ月後退院になりましたが
、その時に医師に言われました。「最低半年は頭を使ってはいけません」と。結局2
年の単位は取得できませんでした。学校の先生に「資格を取るより命を大切にした方
がいい」と言われました。僕は、高次脳障害も起こしていたようです。
そのころPCSVの方と出会い、目が悪くてもパソコンで多くのことが学べること
を知りました。今は仏子にある入間市のアパートにいますが以前は東町の民間アパー
トに住んでいました。その頃樋川さんと林田さんが東町のアパートまで来てくださり
、スカイプ(スカイプを使えば世界中の方と無料で話しができることを知り、ブラジ
ルにいる息子とも話すことができました)の使い方や新聞の見方などを教えて下さっ
たと思います。
心塾から世の中に出て行った卒塾生ともメールで連絡を取ったり、今は障害者のな
かまとピアカウンセリングをして励まし合っています。高次脳障害のせいにはしては
いけませんが、忘れることが多いのですが、これからも月2回のPCSVの勉強会を
通して多くのことを学びたいと考えています
2012年7月22日 M さん
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