汽車ポッポで夢の国へ
3月16日の定例会まで、この1年運営に当たられそして私たちのご指導に誠意を持って当たられました皆さんに、ほんとうに有り難い気持ちで言葉もありません。改めて、皆さん有難うございました。

あの週は、ほかの行事などにもいくつか参加したり私は忙しい週でしたが、それらもみな無事に終わって、あの晩安らかに眠りにつきました。

3時頃目が覚めたので、いつものように枕もとのラジオに手を伸ばしてスイッチを入れると丁度童謡の川田正子さんを追悼する、深夜番組の童謡が始まるところでした。

小学校の頃聞いた、正子さんの、幼いながら、力強いはっきりした声の童謡や、戦後まもなくラジオから毎日流れた鐘の鳴る丘の歌などがつぎつぎと流れて、1時間があっという間に過ぎてしまいました。

この放送で、汽車ポッポの歌の題名は、戦時中 兵隊さんの汽車 であったということや、川田正子さんが戦後最初にラジオで歌ったのがこの歌であることなどを知りました。

起きるまでに、まだ1時間あまりあるので、布団の中で当時のことをなつかしく思いながらうとうとしていると、前日の定例会の、私には理解し難い点もあったパソコンについての説明と、汽車ポッポから連想される都心の大きな駅の、錯綜して、慣れない人には、非常にわかりにくい構内通路の情景とが、絡み合って、私のパソコンへの思いを、なんとなく暗示しているようにも思われて、面白くもあり不思議な気持ちになりました。

私のパソコンの今の知識を、この駅に例えると、田舎から出てきて、初めて汽車に乗る人と同じ程度で、案内板や、標識があっても、目に入らず、見てもその意味が理解できず、乗りたい汽車の出るホームまで、まだ一人で行くことが出来ない人に似ているように思いました。

以下は、年度を終わるおりふしでもあり、このときに、私がパソコンを習い始めたのが、あまりに歳をとってからと、後悔の残る経過と、今考えていることなどを、思いつくままに書いてみました。少し長めの文かもしれませんので、お暇なときにでもお目を通して頂けたらと思っています。

私は、パソコンができればいいなという淡い気持ちをかなり前から持ってはいました。拡大読書器などでどうにか書物などを読むことは、出来ましたので、視覚障害が60歳を過ぎたころから、かなり進んで新聞も本も読むことが困難になってから、所沢のリハビリテーションセンターへ、相談に行きました。

その部屋では、パソコンと、点字を習っている視覚障害者もいました。そのとき私は60歳代半ばをすぎており、パソコンは無理と思い込んでいましたので、パソコンは、自分からは、希望しませんでした。そういう私の気持ちと年齢からと思いますが、私には、パソコンでなく、点字をすすめて下さいました。しかも、点字も年齢から考えると、すぐに始めないとむつかしいとさえ言われてしまったのです。

なんとしても本が読めるようになりたいと思っていましたので、その日から早速点字の勉強を始めました。週に1日でしたが、2年とちょっとかかり、小説などは、どうにか読めるようになりました。

しかし、若いときから点字を読んでいた人とは、かなり違い、年齢から、頭も指先の感覚も鈍くなってしまったのか、正確に速く読むことは、とてもできるようには、なれませんでした。

読書という点では、満足できない日が数年続き、70歳を過ぎてしまいましたが、それでもパソコンを習うことに踏み切れませんでした。むつかしくてもう私の年では無理だろうと思い込んでいたことと、2年以上も勉強してせっかく習った点字を使わなくなって、忘れて読めなくなってしまうこととを心配したからです。

このようにしているうちに、あっというまに70歳代の半ばになってしまったのです。そのような日を過ごしていたときの、一昨年の初めにラジオの視覚障害者の時間のなかで、日本点字図書館が、パソコンを使えばいつでも本を読むことが自宅で出来るサービスを、4月から始めるということを聞いたとき、目の前がぱっと明るく広がり、なんともいえない興奮が体を走ったのせす。

これを聞いて、もう矢も盾もたまらず、パソコンを覚えたいばかりで、何のためらうことも、迷うこともなく、早速社会福祉協議会へ行って、視覚障害者にパソコンを教えてくれるところを尋ねました。

しかし、そのようなものは、狭山市では、やっていないし、そういうことをしているグループなどもないとのことでした。
私が重ねて色々聞くものですから、パソコンを教えるところではないが、障害者のグループの工房夢来夢来の代表の吉田さんが、点字方式で、パソコンを使っているからと、紹介をしてくれました。

点字方式のパソコンがなんであるのか、ほかになんの方式があるのか、なにも知らないままに、それからすぐに手ほどきを受けるようになったのです。

そして、去年の入間市の健康福祉祭りで、吉田さんがPCSVのことをお聞きし、私に話してくれましたので、それから私は、PCSVの皆さんに教えて頂くことが始まりました。
それは、去年の春、私は喜寿を迎える3ヶ月前の歳になっていました。

現在まだ1年になりませんが、パソコンを始める前に、出来るようになればいいなと望んでいたことが、大体どうにかできるようになりました。
  • メールの送受信
  • 新聞や辞書や日本点字図書館の本を読むこと
  • 簡単なインターネット
などです。

私は、このようなことが出来るまでに何年かかかるものと思っていました。これは、PCSVの皆さんの献身的な誠意ある多くのご指導があったからこそ出来たことなのです。このような、視覚障害者にとっては、とくに役立つ素晴らしく、割合簡単に短期間で出来るようになるのに、それまで何年も踏み出すことをしなかったことに、後悔は残りました。ここに、付け加えておきますが、パソコンが使えるようになっても、視覚障害者にとって点字は、色々な面で役立つものですから、あのとき点字を勉強したことは、よかったと今は思っています。

ながながと私の歩んだ恥ずかしい経過を述べましたが、私が歩んだパソコンへの道を振り返ると、深く考えさせられるものがあります。

1.中高年者の、パソコンを始めることに踏み切れないでいる人、なかでも特に視覚 障害者は、パソコンを使えるようになれば、その後の毎日が、格段に広がりり、明るく希望ある楽しい生活が、大いに期待できるのです。1日も早く決心してください。年齢や、むつかしくてということは、前に述べた、いま私が出来るようなことまででしたら心配しなくても、大丈夫なのです。

2.国も自治体も、ITの普及の政策をすすめて色々なことを実施していますが、まだまだ十分ではありません。若い人は、殆どパソコンを使うようになるのですから、それよりも中高年以上の人と、障害者に対して、国も自治体も、パソコンは、障害者にとって健常者よりも必要な有効な道具であることを配慮されて、いま以上に力を入れて予算や設備などの、充実に目を向けてください。

3.PCSVのように障害者のために、献身的に活動している団体への援助などを、予算や設備の面で、もっともっと重点に、すすめていただきたいのです。

パソコンを始めて日の浅い私が、大風呂敷を広げたようなことを書きましたが、私の轍を踏まないで、中高年の方特に障害者の方に、1日も早くパソコンに向かって頂きたい思いでこれを書きました。

おわりに、これからの1年の私の目標は

1.上に述べたことを、少しでもすすめるために、色々な機会に働きかけて、私に出来ることを、積極的に実践するよう努力したいと思いいます。

2.私のパソコンの知識は、まだまだ未熟なので、新しい年度も、皆さんに色々教えていただき、向上に努めたいと思います。

駅の構内に例えると、案内板や、標識のようなものを、理解することが出来るようになって、目的のホームへ、一人で行けるようになりたいと思うのです。そして汽車ポッポに乗って自由に色々な所へ行って、多くの見聞を広めたいと思います。

     2006年3月30日 署名 TI

                  
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